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2020東京オリンピックがやってきますよ!

1964年(昭和39年)10月10日(土)快晴。

第18回オリンピック東京大会(東京オリンピック)の開会式が、明治神宮外苑の国立霞ヶ丘陸上競技場(国立競技場)で始まりました。また通信衛星シンコム3号を利用して全世界に衛星生中継されました。この時は「宇宙中継」と呼ばれていたようで時代に流れを感じます。当時、アメリカではNBC、イギリスではBBCで放送され、これは五輪史上初の同時中継でした。開会式前日の東京は台風の影響で雨天であり、また前日に気象庁が発表した開会式当日の天気予報は「晴れ時々曇り」で大会関係者は大変だったと思います。しかし実際に開会式当日になると東京の空からは雲がほとんどなくなり「世界中の青空」を全部集めたかのような好天でした。もし雨であれば、NHK大河ドラマ“いだてん”のオープニングでも放映されている、あの航空自衛隊ブルーインパルスの五つの輪の飛行は出来なかったでしょうね。

テレビ実況を担当したNHKのエース北出清五郎アナウンサーは冒頭で、「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます。」と実況し、またラジオ放送を担当した鈴木文彌アナウンサーは、式典の最初のオリンピック序曲の演奏が始まると、「東から西から、南から北から、海を越えて、空を飛んで、世界の若人が、世界のスポーツマンが、東京に集まって来ました。」 と発信しました。鈴木氏は全日本女子バレーボールの決勝での「金メダルポイント」や、体操での「ウルトラC 」という名言を発した名アナウンサーでした。多くの日本国民がライブ映像やラジオ放送で感動したことでしょう。またテレビ放送はカラー(当時は天然色と呼ばれていた)でしたが、まだまだ家庭にはカラーテレビは普及していなかったようです。当時のテレビ普及台数は白黒1,600万台、カラーはわずか5万台ほどだったそうです。

私ごとですが、昭和39年10月、ここ薩摩川内(当時は川内)で生まれました。母によると森園病院2階病室だったようです。生後3日目が東京オリンピック開会式でしたので、新生児室の“たかおベイビー”は開会式をライブで観ていたはずです。いやテレビはまだ普及しておりませんのでラジオで聴いていたかもしれません。もちろん何も覚えておりません!しかし物心がついた頃には、そこには東京オリンピックのバスタオルがあり(小学校の頃までペラペラになるまで使用!)、記念硬貨や写真集など多くのオリンピックグッズがいつも日常にありました。また同級生には五輪男(イワオ)くんや 聖三(セイゾウ)くん、聖子ちゃんなど、いわゆるオリンピックネームの子もおり、当時の東京オリンピックに対する世の中の期待や希望の大きさがわかります。

東京オリンピックは1964年(昭和39年)10月10日から24日まで、15日間開催されました。1959年5月26日、国際オリンピック委員会(IOC)総会でアジア初となる東京オリンピック開催が決まりました。そこからの準備は大変だったようです。まだ当時、東京のスポーツ施設は整ってなかったので、たった5年で施設や交通網を整備する必要がありました。莫大な予算が投入され、そのおかげで新幹線(東京オリンピックの開会式直前の10月1日開業開始)や高速道路をはじめインフラ整備も充実。IOCのいう、スポーツ、社会、環境、都市、経済の5つの分野で多くのレガシーを今に遺しました。あの大戦後19年(今考えればわずかな年月です)、「日本はもう戦後ではない」と全世界に向けて日本の技術力を見せる絶好の場だったのでしょうね。また、初の30分のTVアニメシリーズ「鉄腕アトム」の放送(1963年-1968年)もあり、私はもちろん、多くの子供たちはモノクロのアトムを観ながら来る21世紀や未来に心を躍らせていた良き時代でもありました。

オリンピックの歴史

古代オリンピックとは、一言で言うなら、古代ギリシャのスポーツの祭典です。古代オリンピックとして記録が残っている最初の大会は、紀元前776年のことです。1日だけの開催で8月頃に行われ、種目は短距離走(スタディオン走)のみでした。その後、ローマのギリシャ征服などにより、古代オリンピックに陰りが見えはじめ、紀元369年大会で姿を消してしまいました。

それから1800年の時を経て、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵が近代オリンピックの開催を提唱し、1896年(明治29年)にギリシャのアテネで第1回大会が開催されました。第1回大会は、参加者は男性のみ(女性の参加は第2回大会より)245名、開催期間は1週間、参加国は14ヵ国にすぎませんでした。日本の初参加は、1912年(明治45年)第5回ストックホルム大会で、短距離の三島弥彦、あの“いだてん”ことマラソンの金栗四三のわずか2人です。

途中、2度の大戦による3つの大会中止や、1980年モスクワ大会(日本は不参加)、1984年ロサンゼルス大会の大量ボイコットなどの紆余曲折はあったものの、オリンピックの規模は基本的に拡大基調を描き、前回の2016年第31回リオオリンピックでは205か国+地域と難民選手団、出場者は1万1238名(日本男子174名、女子164名:計338名)に達しております。なお冬季オリンピックは1924年から、パラリンピックは1960年から開催されております。

東京オリンピックは、一回目が1964年ですが、実は幻の大会が1940年に開催される予定でした。9月15日放送の第35回放送の“いだてんがちょうどその場面でした。1940年(昭和15年)東京オリンピック開催は、日本にとっては「皇紀2600年」祝賀行事の一つでした。36年ベルリンのIOC総会で1940年東京大会が決定。さらにその後、冬季の札幌オリンピックの同年開催も決定していました。しかし翌年、日本は中国との戦争に踏み出しました。当然ながらイギリスや北欧から東京大会反対の声が上がり、1938年7月厚生大臣木戸紘一が東京オリンピック中止を決定しました。その後、東京の次点であったヘルシンキで開催予定でしたが、ヨーロッパで第二次世界大戦勃発によりこの年のオリンピックは中止となったのです。

第二次世界大戦後、戦後に初めて開催された1948年第14回ロンドン大会に日本は招待されず、次のヘルシンキ大会(1952)が戦後初のオリンピック参加(72名参加)になりました。1940年から24年後の1964年、ついに東京オリンピックがやってきたのです。

そしてTOKYO 2020

早いもので今からもう6年前になります。2013年9月8日深夜、地球の裏側のブエノスアイレスから、IOCロゲ会長の手元のカードには「TOKYO 2020」。今や小泉進次郎環境大臣のパートナーとなった滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」は、日本人には何か背中がムズムズするような感じ?がしましたが、国際舞台ではこれでよいのです。日本人の心・文化である「おもてなし」ですからね。

TOKYO 2020。来年夏にいよいよ迫ってきましたね。トップアスリートは、オリンピアンになるための代表権をかけての厳しい戦いがすでに始まっております(直近では9月15日MGCマラソン代表選考レースが東京で開催)。しかしながら、私をはじめ多くのスポーツ・ウオッチャー(マニア)にとってはこれからが至福のひと時です。開催が猛暑の東京ですので、宿泊や費用、自身の健康、最後に妻の“鶴の一声”(これが最も大事!)を総合的に考慮し、断腸の思い!?でオリンピック会場までの行くのを諦めました。その代わりに天文館のババデンキにお願いして、パナソニックのELテレビをセンターに、ヤマハのアンプやスピーカーで脇を固め、ECLIPSEのサブウーハー+スピーカーを周囲に配置し、いつでも自宅観戦できる環境をすでに整えてあります。今秋、日本代表が大活躍した(ベスト8!)ラグビー・ワールドカップで、本番に向けてのリハーサルをすでに済ませ準備は万全です。

聖火リレーがここ薩摩川内にやってきますよ!

オリンピックのシンボル聖火。しかしながら競技場に聖火をともす古代オリンピックの儀式が近代オリンピックで復活したのは1928年の第9回アムステル大会からです。また古代オリンピックにはなかった「聖火リレーTouch Relay」を始めたのは、1936年ベルリン大会、そうあのアドルフ・ヒトラーです。ナチスが政治利用したといわれた大会でしたので、今や平和のシンボルというイメージからすればとても意外です。発案したドイツのカール・ディームは、そこに古代と現代を結ぶという思想を込めましたが、現在もその理念は継承され、その歴史的意義に加え、そしていくつかの国を超えてリレーされていくことで世界をつなぐという平和的意義を持つとされ、現在まで引き継がれております。

前回の東京オリンピックの時もここ川内に聖火リレーが来ております。色々調べたのですが、川内のどのコースを誰が走ったのか等、詳しい資料が見つかりませんでした。1964年(昭和39年)9月9日(水)、鹿児島空港(鴨池空港)に沖縄(当時はアメリカ統治下)から純国産機YS-11に載せられて空路到着。初日は鹿児島空港(鴨池)から鹿児島県庁(山下町)、10日に阿久根市役所、11日に出水市から熊本県水俣市に引き継がれたようです。走行距離115.2km、63区間、約1,500人が聖火リレーに参加しております。一人1.5~2 km程度は走っていた計算になります。9月10日(木)に、ここ川内に聖火リレーが来ていたはずです(おそらく国道3号線)。地元の若人達が、その健脚で聖火リレーを行ったのでしょう。10月生まれの私はまだ誕生しておりませんでしたが、聖火リレーを見物していたかもしれない(?)臨月に入った母のおなかの中で、聖火ランナーの鼓動を感じていたかもしれません(この辺りは母親に訊いても詳細不明)。東京オリンピック報告書によれば、聖火ランナーは正走者1名、副走者2寧、随走者20名以内で編成。国内では空輸総距離2,692km、地上リレー総距離6,775km、総参加者総数100,713人でした。

今回も聖火リレーが行われます。聖火ランナーの一般公募は6月末からが行われました(既に8月31日締め切り)。基本的な参加条件(2008年4月1日以前の生年月日 など4項目)、基本的な注意事項(1名当たりの 走行距離200など10項目)で、アスリートでなくてもどなたでも参加できます。「薩摩川内もルートに入ればいいのに」と思っておりましたら、なんと2020年4月29日(水・祝日)に、ここ薩摩川内に聖火がやってきます!(鹿児島県は4月28日と29日の2日間)。昭和39年生まれの東京オリンピック世代の同級生たちは「ヨッシャー!」と叫んだのではないでしょうか?もちろん私も叫んだ一人でもあります。早速ネットで申し込みをしました。所定の欄に住所、氏名、年齢などここまではまことに簡単ですが、最後に自己アピールの作文の難所が待ち受けておりました。多くの方がここで諦めるであろう?聖火リレーやオリンピックに対する自己アピール400字程度の作文も少しも苦にならず?見事クリアし、無事送信しました。聖火ランナーの公募は全国で約1万人ですので、かなり狭き門です。当選発表が今年の12月以降に予定ですが、200mを元気に、爽快に、格好よく走りきる(前回大会より短い距離ですが責任重大!)ために、心・技・体を鍛えている今日この頃です。

来年3月12日ギリシャ古代オリンピア市で聖火採火式が行われ、3月20日宮城県航空自衛隊松島基地に到着。3月26日に福島県のJヴィレッジからグランドスタートし、開会式が予定される7月24日までの121日間に渡り全国857市区町村を巡ります。近年の被災地や世界遺産、各地の名所、国内の五輪ゆかりの地などを経由し、東京・新国立競技場(オリンピックスタジアム)に聖火を届けるルートとなります。聖火ランナーを大勢の人々が取り囲む一大イベントになるでしょうね!今からとても楽しみです。

さあ、いよいよ来年です。2020東京オリンピックがやってきますよ!

(参考)

  • 日本オリンピック委員会https://www.joc.or.jp/
  • 笹川スポーツ財団 スポーツ歴史の検証https://www.ssf.or.jp/
  • 読売新聞 東京五輪の記憶https://www.yomiuri.co.jp/special/olympic/#endingPage
  • 幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで(橋本一夫 講談社学術文庫)
  • NHK大河ドラマガイド いだてん(前編・後編)(NHK出版)

 

*この文章は川内医師会報10月号に投稿した内容の抜粋です。